あーちゃんはこんな子でした
あーちゃんのママはご自宅で和紙を使ったちぎり絵教室をやっています。
あーちゃんはママのお手伝いが大好きで、教室の日には人数ごとにちぎり絵道具のセットや和紙の準備をすすんでしてくれます。
お花のちぎり絵が多いせいかあーちゃんもお花が大好きで、いつもお花の図鑑を見ているからどんなお花もあーちゃんに聞けばその名前を答えられる程でした。
性格は、とても純粋でまっすぐで人を疑うことをしないから、クラスのみんなから好かれていました。
それに何に対しても一生懸命頑張るので、運動も勉強も手を抜かず、その結果リレーも水泳も選手になったりしたそうです。
「どれも楽しいからやめられない」「まだまだ上がいるからもっとがんばるんだ」といつも言っていたそうです。
あーちゃんとママ
「あーちゃんの話をすると止まらなくなっちゃうんです」
と、それは嬉しそうにあーちゃんと過ごした日々のお話をしてくださいました。
ママにとってのあーちゃんは、まるで姉であり、友達であり、付き合いたての恋人のようだったそうです。
あーちゃんが学校から帰ってくるとママは帰ってきたことが嬉しくて「おかえりー」と両手を広げて待ち構えています。
だからおかえり・ただいまのギューは毎日。
お互い一緒にいるだけで幸せで、くだらないことを言ってはクスクス笑っているから、まるでバカップルみたいな親子だったそうです。
そんな感じなので、お母さん同士が集まった時に、子供がいろいろ大変だという話を聞くと「うちの子はそういうの全然ないなー」って思っていたそうです。
「誰かが毎年『はい、今年の分』とか言って台本を渡してくれているんじゃないかなー、予想以上に可愛いことばかりやってくれるんですもん」と愛おしそうにおっしゃいました。
ママはあーちゃんのしぐさや言葉の全てが大好きで、いつも愛情いっぱいの眼差しであーちゃんを見守っていたのだろうと思いました。
また、ママにとってのあーちゃんは癒しでしかなかったので、感情的に怒ってしまうようなことは無く、出てくる言葉は「あーちゃんってすごいねー」でした。小さな子供だけど「人として」尊敬していたから。だから毎日褒めるところばかり見つけてはそれを伝えていたそうです。
あーちゃんからしたら、自分が少し頑張ったことにママが大喜びしてくれるから、もっともっと頑張ろう!と思うのでしょう。
「どうやったらママは喜んでくれるかな」といつも思っていたようです。
子供は大人と違い話し合いで解決することができないので、子育てはやはり大変です。
でも、あーちゃんのママのようにストレスがほぼ無く子育てができるのは、たっぷりの愛情に加え、ここに居てくれていることに感謝を持って関わっていたからなのだろうと思います。
そしてその気持ちをきちんと伝えること。
だから子供も素直にその愛を受け、同じようにその愛を返すから愛情がループして良い関係を作っていけたのかもしれません。
病気が発症してから
病名と余命を告げられてからは、少しでも長く一緒にいたくて、放射線治療や抗がん剤治療をし、前例のない治療にも取り組んでくれる病院など、望みのある病院はすべてあたったそうです。
副作用にも耐え、途中治療が効いて元気になる「ハネムーン期」にはメイク・ア・ウィッシュ(難病の子供の夢を叶える機関)を利用してディズニーランドのティンカベルルームに宿泊したり、投薬中に海外旅行にも行きました。
でもそんな時間は長くは続かず、再び病状が悪化してきてしまいました。
闘病生活
在宅治療に関して、一時帰宅さえダメだという病院が多い中、自宅看護の許可をもらえる病院を探しました。
在宅治療が認められない理由として、生命に関わる難病のため、病状が急変した場合の対応は時間が勝負である場合が多いからです。
訪問看護師、訪問医がなどがすぐに駆け付けられるのは必須の条件で、他にもたくさんの条件が揃わないと看護ができないからなのです。
24時間休めない看護は、ご両親にとって肉体的にも精神的にも辛いもの。
でも、ママは一緒にいることを選んだのです。
再発してからの病気の進行はとても早く、最初に手足から麻痺がはじまり、次に食べ物を飲み込めなくなり、声を出すことが困難になり、体勢の維持ができなくなり、目が見えなくなってきて(※人によっては初期から)、息を吸うのが辛くなっていきます。
話せないし、動けない。
大人だってそんな状況耐えられないと思う中、あーちゃんは誰かに当たったり卑屈になることがありませんでした。
「こう考えたら辛くないはず」と前向きに考えらえる力を持っていたのです。
話ができなくなってきてからは、iPadで文字を打って、それを音声にするアプリで意志の疎通を行っていました。
視界が2重に見えるようになると、iPadを打つのも大変です。
それでも「あきらめたらそこで終わり」と言いながら文字をタップすることをやめませんでした。
実はそれは、少し元気がなくなったママに、元気を出してほしくて言った言葉だったそうです。
手が動かなくなる寸前まで毎日「ママ大好き」という言葉だけは言い続けていました。魔法の言葉「大好き」は、あーちゃんにもママにもパワーをもたらす言葉だったのだろうと思います。
在宅治療になってから、毎日のようにお友達が遊びにきてくれました。
あーちゃんの横でワイワイ騒いで帰っていきます。
あーちゃんは声が出なくて瞬きでしかイエスと言えない状態でしたから、「疲れちゃうならお友達や先生を呼ぶのをやめるよ」と言ったら、iPadで「こんな状態でも友達が来てくれるのがありがたい。楽しかったよ」と言うのです。
あーちゃんが楽しい気分になるのならと、お友達がくることを拒みませんでした。
指が動かなくなってからは、意志を伝える手段がなくなり、痛いとか痒いとか、体がだるいとか、そんなことも伝えられなくなります。
苦しそうだと思うから痰を吸うけど、本当はどうなのか分からず、「きっとそうだろうな」でお世話をしていきます。
最後の時
亡くなる時は、パパも訪問医も訪問看護師もいる中でゆっくりと亡くなっていきました。
卒業式が終わった次の日、学校のバタバタが終わった一番良いタイミングでした。
まわりの人たちの迷惑がかからないように、大切な人たちが側にいるちょうど良いタイミングで天国に旅立つなんて『最後まであーちゃんだったね』とみんなが言ったそうです。
あーちゃん1年3ヶ月の軌跡
亡くなったばかりで心も体もボロボロのママが必死の想いでお作りになったものです。
病気は本当に辛いけど気持ちは明るく。頑張り屋でやさしいあーちゃんとママの深い愛が伝わってきます。
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こんなご葬儀でした
お葬式について
事前に打ち合わせをした方が良いことは分かっているものの、葬儀屋に電話をするのはあーちゃんの死を認めるようで辛く、なかなか連絡ができませんでした。
お花が大好きなあーちゃんのことを思い、ママは葬儀社を花葬儀に決めてくださいました。
亡くなる3日前に涙をこらえながらのお電話でした。
葬儀の形式について、葬儀というと親戚縁者の顔が浮かびますが、誰の為でもない、あーちゃんの為のお葬式をしたいと思っていたそうです。
戒名もお布施もあーちゃんには関係の無いこと。だから宗教色の無い自由葬をご指定されました。
また、来てくれたお友達たちにあーちゃんの最後の想い出を「暗い、怖い」といったイメージにしたくないと思っていたので、季節感のある綺麗なお花いっぱいのお葬式をご希望されました。
お葬式までの間
亡くなってからご葬儀まで一週間があり、その間フラワーコーディネーターが何度も伺いました。
イメージをお伺いしてデッサンし、要望を加えてまたデッサンしてお持ちする。
あーちゃんの明るくて人を幸せにするようなかわいらしいイメージの祭壇をママとご一緒に考えていきます。
デザインが決まると次にお花の選定ですが、あーちゃんがお花の図鑑に貼っておいた付箋の花を覚えていたので、それらの花を使うことにしました。
お葬式当日
お葬式というと、ジメジメしたイメージを持っていたそうですが、参列した学校の子供達が折り鶴を折ってくれたり、歌ってくれたり、小さいころからずっとファンとしてコンサートに通っていたオペラ歌手の方々までもが歌ってくれたりして、参列してくださったみなさんが力を合わせて作ってくれたあたたかいお葬式でした。
担当プランナーがご友人のお宅を訪問して打ち合わせをし、元幼稚園のホールを貸し切ってたくさんのご友人にスクラップボードの寄せ書きやアルバム作りにご協力いただきました。また、ディズニーランドに行ってミッキーとミニーマウスのサインをもらってきました。
そういったことは知らなかったので本当に驚かれ、涙が止まらないご様子でした。
「葬儀はいろいろと決まりが多くお任せになりがちな中、花葬儀は自由にいろいろやらせてもらえたから満足のいくお葬式になりました。」と言っていただきました。
葬儀が終わってみての感想をお伺いしました
お子さんを亡くしてしまった方々の悲しみは深すぎて計り知ることができず、その事にどう向き合っていくのかはそれぞれのご家庭ごとに違います。
ママは自分の場合、もしかしたら世間から断絶するようになってしまうかもしれないと思っていたそうです。
だから闘病中からずっと笑っていられるうちは笑っておこうと思っていたら、常にまわりのお友達が気にかけてくれて、あーちゃんが天国に行ってしまった後も様々な形で接してくれたので、気が紛れて、気付いたら塞ぎ込んでいる時間がほぐされていたそうです。もちろん、朝晩は涙が止まらないし、一日中ずっとあーちゃんのことが頭から離れないのですが。
あーちゃんの友達たちもチャイムをピンポンして上がってきちゃいます。子供が好きなので一緒にお茶したり遊んだりしています。
「あーちゃんの持っていたものをお守りにして運動会に出たら優勝したんだよ」と嬉しそうに報告してくれたりします。
学校もあーちゃんの死というものを、怖いものではなく温かなイメージで子供たちに伝えてくれているから、すごく支えになっているそうです。
「子供が死に直結する病気になるなんて思っていませんでした。
ここまできついことを人生で体験したことがないから、これからは何が起こっても、この事を思えば小さなことに思えます。
今一番思うのは、元気なうちからその日、その時に伝えられる愛情は全て伝えていて良かったです。」
と、最後におっしゃいました。
インタビューが終わって
人に寿命があって生まれてくるのだとしたら、金さん銀さんのように100歳以上まで生きる人もいれば、あーちゃんのように10年という人もいます。
今回のインタビューで思ったことは、もしそうであるとしたら、あーちゃんは人が一生で受けることができる愛情を、10年で受けられる環境を選んで生まれてきたのではないでしょうか。この人達がパパとママなら間違いないと。
病気や事故で子供が亡くなってしまうなんて、自分とは関係ないように思っている人が多いと思います。
実際私も、私の子供達が目の前から永遠にいなくなるなんて、想像しただけでも涙が出てきます。
でも、実際起こり得ることなんだということを今は痛切に感じています。
だからこそ、もっともっと子供を抱きしめて、その肌に触れ、子供の目を見つめ、大好きだという想いを伝えていきたいと思うのです。
あなたたちと出会えたこと、今日あなたたちと一緒にいられることが私にとっての最高の幸せなのだということを言い続けていきたいと思いました。
最後に
葬儀の時に、ママがあーちゃんに宛てた手紙をご紹介します。
病気になるもっと前、幼稚園の頃に親バカ全開の私が毎日のように「なんであーちゃんはそんなに優しくてかわいいの?」と聞いていて、するとあーちゃんが面白いことを答えた事がありました。
「あーちゃんはね、実はね、前は天使のお仕事をしていたのよ。天使の中でもね、リーダーやってて結構忙しかったんだけどね、ママが子供の頃からお父さんもいなくて何だかいろいろ大変だったでしょ?だからね、ママの所に子供として行く事にしたんだよ。あ、これは誰にもナイショの話だよ」と。
その当時はよくある子供の妄想話で面白いなと思っていただけだったのですが、今思うと本当にそうだった気がします。
あーちゃんは産まれてからずっと幸せ満開のキラキラした存在で、面白くて優しくてかわいくて、癒しでしかなくて、この世にこんなにも愛おしいものが存在するという事を私達に教えてくれました。何からなにまで幸せすぎておかしいなぁと思っていたら、こういう事だったのかと変に今納得していたりします。
天使の下界での寿命はきっと10年で、私達の事が心配なあーちゃんは少し約束を破って9ヶ月長くいてくれたのかもしれません。
10年9ヶ月だけでも、私達の元に来てくれて一緒に過ごしてくれて本当にありがとう。ママはあーちゃんのママでいさせてもらえて本当に幸せでした。
エピソードとお写真は、ご家族様のご許可をいただいて掲載しております。