花葬儀を選んだ理由
女性ならではの細やかな気遣い。一番最初にお会いした時の印象がよかったです。
7月の初めに母が緊急で入院をすることになり、たまたまお見舞いに来てくれた従兄妹に何気なく、「葬儀社を探しておこうと思うんだけど、まだ亡くなっていないのに不謹慎かな?」という話をしたところ、そんなことはない、あとで慌てるなら探しておいたほうがいい、と後押しされ、それが、葬儀社を選び始めた最初のきっかけでした。
でも、最初は探しようがなかったです。近くに葬儀をできる場所を知っていたので、その名前でインターネットで検索をすると、花葬儀さんが出てきました。何気なくホームページを見ていたら、お花で送ってくれる葬儀社さんのようです。・・そういえば、母も花が大好きだし、「花葬儀」って、なんだか綺麗な名前だなって。それでまずは資料請求をすることにしました。
実は、花葬儀さんに連絡する前に、別の葬儀社さんにも資料請求の連絡をしていました。私が不在の時に自宅に資料を届けにいらしたようなのですが、その方が手土産として持ってきたのが線香でした。まだ、母は生きているのに。とても人をばかにされたような気持ちになりました。まだがんばっているのに、そんな心遣いができない葬儀社にはお願いをしたくないと思いました。
花葬儀さんに電話をしたところ、「資料を送ることは送れますが、葬儀をやるやらないは別として、いろいろと思っているご希望をおっしゃってくませんか」と言ってくれて、たまたまタイミングも良かったので、その日家族が揃う夜に、山田さんが自宅に来てくれることになりました。
山田さんは、籠盛のお花を母に持ってきてくれていました。「お母様が入院されていると聞いて・・・」と。その心遣いにびっくりです。その時点で、ほぼ8割がた、花葬儀さんに依頼しようと決めていました。
そしてなによりも、私の話を親身に聞いて下さり、その話に一緒に涙してくれた、共感してくれたことがとても嬉しかったのです。
花葬儀を体験して良かったこと
念願の花束贈呈!結婚式で母に渡したかったバラの花束を、最期に渡すことができました。
母は、桜が好きだったのですが、亡くなったのが8月で季節的に手に入らないのはわかっていたので、それに合うような感じの祭壇で、お花の種類はフラワーデザイナーさんにお任せしました。また、初対面の人には人見知りするけど、一度会ってこの人はいい人だとわかれば、何十年も関係が続いたりする、とにかく人に好かれる人だったという、母のエピソードを伝えたところ、その人となりをイメージさせる祭壇を創ったと、後に、フラワーデザイナーさんからお聞きしました。
私の結婚式の時に、両親への花束贈呈はバラがいいと母から事前にリクエストがあったのですが、たまたま相手のお母様はバラが嫌いということで、目の前で渡すわけにもいかず、結局母には相手のお母様と同じカーネーションの花束を渡したという思い出がありました。だから、最期は真っ赤なバラの花を花束贈呈であげたい!という気持ちが強く、その話をしたら、それをやりましょう!と山田さんも長谷川さんも快く言ってくれ、最高のバラを探してもらいました。
まさに結婚式で母にあげたかったのはこれ!とイメージ通りの深紅のバラの花束を用意してくださり、棺に納められたことはとても嬉しかったです。
-お母様はどんな方でしたか?
孫への惜しみない、深い愛情の持ち主
息子が2歳半までは、私の仕事の都合で、母に息子の面倒を見てもらいました。早朝にも関わらず保育園の送り迎えもしてくれたり、片親という境遇だからこそ、後ろ指を指されるような子には育てたくないと言って、一生懸命面倒を見てくれたり。
母は目が悪かったのですが、それでも、手料理をいっぱい作ってくれて、特に食に関しては何でも食べる子にと、そして、大病をしない、強い子に育ててくれました。そんな息子も今年二十歳を迎えましたが、いつもおばあちゃんと一緒に過ごしていましたね。
母であり、「姉」のような存在でした
母は5人兄弟ですが、実母を高校1年生の時に亡くしています。母親がいない寂しさは私も聞いていました。その境遇もあってか、母と過ごす時間が多かったですね。私からみたら、母は、親なんですが、「姉」のような存在でした。
周りから見ると、普通の母娘関係には見えなかったと思います。どこに行くにも一緒。母が父と喧嘩をするものなら、そのストレス解消で、ふたりで美味しいコーヒー屋さんに行ったり、贅沢なランチを食べたり、買い物に行ったり、温泉が好きだったので、旅行に行ったり(父を置いて笑)。食べるのも好きだったので、食べ歩きもよくふたりで行きました。
母の目が見えなくなってからも、変わらずふたりで本当によく出かけていました。その時には、私の左肩には母の手があり、時には腕を組んで歩いたり。車では助手席に母が座るので、どんな時も常に私の左側に、空気のようにいるのが当たり前の存在でした。
まさに、ふたりでひとり。今は、なんだか片腕をもがれてしまった感じですね。
母に仕事の愚痴をこぼすこともありましたが、母は全てに応えてくれました。私の心の支えになってくれた人。何でもさらけ出して話せる人でした。家の中でも母はとてもよいクッション材でした。父と私との間をうまく中和してくれていましたが、今となっては、母の存在感はひときわ大きかったと実感しています。
こんなご葬儀でした
お式への要望
バラの花束を渡したい
〇 結婚式の両親への花束贈呈で叶わなかった深紅のバラの花束を渡したい。
〇 好きだった桜をイメージさせる祭壇に。
〇 棺も骨壺も桜柄をあしらったものにしたい。
〇 遺影写真は、息子の二十歳の成人式の時に取った家族写真を使いたい。
実際のご葬儀
〇 女性らしくピンク色を中心としたデザイン祭壇をお創りしました。
〇 ご家族で撮られたお写真を飾りました。
〇 お孫さんとの写真や愛用していたサングラス、帽子、お孫さんの成人式で着たジャケットをトルソーで飾りました。
〇 たくさんあった着物の中でも特にお気に入りの着物をお着せしました。
〇 ナチュラルメイクでお顔を整えました。まるで本当にそこに眠られているかのようでした。
-花葬儀が終わってみての感想はいかがですか?
苦労した母に御礼ができました。
どんな時もさりげなく気遣っていただけるプランナーさんたちと出会えてよかったです。
生前母は、延命治療はしない、自分が亡くなったときは火葬でいい、葬儀は派手にしなくていいと言っていました。ただ、俗名ではなく戒名を付けてほしいと。それが唯一の願い。 その母の想いに理解を示しながらも、私は、母が父の祖母に嫁姑でいじめられているのも知っていましたし、決して華やかなことをしてもらえなかった人だったということも知っていました。さらには、病気もたくさん患って、いい人生を送れなかったかもしれないとも。だからこそ、息子もここまで育ててくれた恩もあるから、せめて最期のエンディングくらいは、もう、こんなに苦労したんだから、お金には糸目を付けないで、私がお母さんにやってあげたいことをしてあげたい。そう強く思っていました。それが、母に対しての唯一の御礼。そんな私の願いをカタチにしていただきました。
最初のきっかけって大事。最初に電話をして出会ったのが、入院中の母のために籠花を持ってきて相談に乗ってくれた山田さん。母が目を閉じたあとは、お通夜から告別式までの全てを仕切ってくれた長谷川さん。そしてアフターサポートの鳥畑さん。 お葬式は、そこでやって終わりという人がいます。でも、亡くなりました、葬儀が終わりました、で終わるものではなく、結局、葬儀のあとも続いているんです。困ったことがあって連絡すると助けてくれるし、49日の日もちゃんと覚えてくださっていて、その日の夜には、お疲れではないですか、という細かい気遣い。人の繋がりってやっぱり大事で、そこまでしていただける葬儀社さんに出会えて本当に良かったです。
最後に、従兄妹からの後押しもありましたが、事前に葬儀社を決めておいて良かったです。事前に決めておかないと、病院側の葬儀社にお願いをしないといけない事態になってしまう。決して死を待っている訳じゃないとわかっていますが、やはり事前に、自分で見て、確認して、話を聞いて、自分で納得して選んだ葬儀社にお願いをするのが大事だと痛感しました。 実は、母の最期には間に合いませんでした。急いで病院に向かいましたが、到着したときには息を引き取っていました。最後にいろいろな話、つもる話ができなかったのはとても残念でしたが、同時にとっさに思ったのは、これで、あなたの葬儀は、誰にも後ろ指をさされない、ちゃんとした葬儀にしてあげるからね、と。失った悲しみの中でもそう心に誓うことができ、送る覚悟ができました。事前に花葬儀さんに出会えたこと、私の想いをカタチにしていただき後悔なく母を送れたことに感謝しています。
エピソードとお写真は、ご家族様のご許可をいただいて掲載しております。
担当プランナーメッセージ ~ご葬儀を終えて~
すべての願いを叶えることができるように、何度もお話し準備を進めました。
初めてお会いした時、細谷様の温かな人懐こいお人柄がとても魅力的で、精一杯お手伝いさせていただこうと思ったことを覚えています。細谷様も息子様もお父様も、お母様が大好きだったこと、感謝の気持ちを形にかえて想いを伝えたいこと、悔いのないお見送りができること。すべての願いを叶えることができるように何度も細谷様とお話し、準備を進め、無事に葬儀を終えることができて本当に良かったと思います。細谷様との出会いを大切にし、アフターサポートでこれからもずっと繋がってゆくので、またあのハグしてしまいたくなるような素敵な笑顔に会えることを楽しみにしています。