花葬儀を選んだ理由
問合せからの超すばやい対応とプランナーさんの誠実な人柄が決め手です。
施設に入っていた母の容態が悪化し、いつ最期の時が訪れてもおかしくない状況となったとき、家族で葬儀について考えました。生前から葬儀社を探すことにためらいがありましたが、いずれ決めなければならないことなら、少しでも良い見送り方をしたいと考えたのです。
せっかくなら、「母が大好きなお花に囲まれた中で見送りたい」と思い、インターネットで葬儀社を検索しました。
そして数社のホームページを閲覧し、気になるところに資料請求しました。その中の1つが花葬儀さんです。すると、わずか1分も経たないうちに花葬儀さんから電話がかかってきました。
あまりにも早い対応に、びっくりしたことを覚えています。
それから、花葬儀のホームページを隅々まで拝見すると、他の葬儀社に比べてアプローチがとても斬新で興味を持ちました。
花葬儀のサロンに伺い、初めてプランナーの土屋さんとお会いしました。事前相談の段階からとっても親身になって話を聞いてくださって、私達の気持ちに寄り添ったプランを提案していただきました。
私は物事を決めるときに、人の存在がとても大きいと考えています。土屋さんとお話しているときから、絶対にこちらにお願いしようと決めました。
花葬儀を体験して良かったこと
無理だと思っていたことも実現でき、祭壇もお食事も温かさが溢れていました。
母のお葬式は湿っぽい式ではなく「おばあちゃんの卒業式にしたいね」と家族みんなで話し合いました。母らしく、明るく可愛い雰囲気を作りたかったのです。
そんなお葬式を、理想以上に作り上げてくれた土屋さんには本当に感謝しています。
会葬者のお料理を選んでいるとき、「籠に入った可愛い手毬寿司なんて、あったら良いのですが…」とつぶやいたら、「買ってきます!」と土屋さんは合羽橋まで走り、小ぶりの籠を用意してくださいました。
出来上がった手毬寿司は、それはそれは可愛らしく、母がいたら「あら、かわいいー」と手をたたいて喜んでいるはずです。
思い出の品もたくさん持って行ったにもかかわらず、全て綺麗に飾ってもらい、素敵な空間になりました。母が好きだった藤城清治の影絵も、祭壇の雰囲気に溶け込んでいて感動しました。
また、式場入口の古い振り子時計の針を“母が亡くなった時刻で止める”と言う演出には、思わず涙が出そうになりました。
司会はプロの方ではなく土屋さんにお願いしました。私たち家族の想いを汲みとってくださり、しめっぽい雰囲気ではなく、だからと言って場違いでもなく、スッと耳に入ってきて聞き入ってしまうほどでした。土屋さんにお願いして本当に良かったです。
そして、これは私事ですが、式の途中で咳が止まらなくなってしまったのです。お坊さんのお経の最中で席を立つわけにもいかず、苦しさの中ただハンカチで口を押さえることしかできませんでした。すると、土屋さんがサッとお水を持ってきてくださいました。その時の土屋さんのさりげない気配りが心に残っています。
-お母様はどんな方でしたか?
教師時代は不器用でも一生懸命に生徒に寄り添おうとする先生。
孫たちにとってはマイペースで少女のようなおばあちゃんでした。
明るくて裏表のない女性です。とにかく元気で四国八十八カ所のお遍路さんを2回巡りました。晩年は四季折々のお花を見に文京区の六義園に家族やお友達と出かけていましたね。
可愛いものが大好きで、地元から東京に引っ越す際も、ぬいぐるみを置いて行けないとごねる少女のような一面もあります。
結婚前は高校教師をしていたのですが、教えるのに一生懸命すぎて、生徒から見ても「ほっとけない」感じのする親しみのある先生だったと、亡くなった後に生徒さんからお話を聞きました。
また、孫が食べているお菓子やおにぎりを羨ましがったりと、天然で子供のようなところもあるおばあちゃんでした。
子供の可能性を信じて伸ばしてくれる母でした。
小学校1年生の頃、水泳教室に通っているにもかかわらず、私は全く泳げない子供でした。そんな私を見かねた母は、自分は水に顔をつけることすらできないのに、毎日プールに連れていきます。
泳げない母は泳ぎ方を教えられるわけもなく、プールの中に入ると少し離れた場所へ立ち「ここまでおいで」と言うだけでした。
2、3m泳げるまでに何日かかったことでしょう。ところがある日、自然と身体が前へ進み母の元まで泳ぐことができ、「良くできたね」と褒めてくれました。すると今度は、さらに少し離れた場所で待っていてくれます。そしてあるとき、母が立つ場所を大きく越えて泳げるようになりました。
この出来事は、私の人生の大きな糧となり、自信につながりました。一生懸命頑張って、もう少し頑張ったその先に、今まで見えなかったものが見えること、自分の可能性は自分で切り開いて行くことを母は教えてくれたのです。(義久様)
嫁姑問題が皆無だったのは母のおかげです。
私が母に一番感謝していることは、この家に嫁いで24年間の中で、母は誰に対しても私の悪口を言ったことはありません。
一般的に嫁姑問題など、どこの家庭にもあるものだと思います。本来なら小言の一つや二つ言われてもおかしくないのに、母は私に対して罵倒したり、嫌味を言うことも一切ありませんでした。それどころか、施設の方に「うちのお嫁さんはね」と嬉しそうに私の話をしていたそうです。
2人でどこかへ出かけると、「娘さんですか?」と実の親子に間違えられることもありました。
何のわだかまりもなく、嫁として母を見送れたことが、とてもありがたかったです。(道子様)
こんなご葬儀でした
お式への要望
母の好きなものを形にしてほしい。
〇 ピンクが好きだったので、可愛らしいイメージにしたい。
〇 祭壇のイメージは家族で遊びに行っていた六義園のように、たくさんの花と緑を取り入れてほしい。
〇 劇団四季のパンフレット、お遍路さんグッズや御朱印帳、教師時代の思い出の品などを飾りたい。
〇 遠方からの親族もあり、お通夜、お葬式と連日会場に通うのは厳しいので、宿泊できる会場を希望。
実際のご葬儀
〇 ピンクのお花を中心に、イメージに合うドウダンツツジを使用し、お母様がお好きだった毬と吊るし雛を飾りました。
〇 会場が広かったので、空いているスペースに花瓶活けのお花を飾り、受付回りにも枝を飾りました。
〇 お母様の思い出の品を全て飾ることができ、会葬者の皆さまもゆっくり見て回ることができました。
〇 お母様が好きだった藤城清治の絵に後ろからライトを当て、祭壇の左右に影絵を再現しました。
〇 メイクもマスカラまで丁寧にほどこし、美しいお顔でそこに眠られているかのようでした。
〇 会葬者様、ご宗家様へのお持ち帰りの品も、お母様らしい可愛らしいものを送ることができました。
〇 会場にピアノがあったので、通夜式が終わった後に奥様がバイオリン、お孫さんがピアノとギターで、お母様の好きだった文部唱歌を演奏されました。とても心のこもった温かい空間でした。
〇 空間全てにご家族のお母様への想いが詰まったお葬式になりました。
-花葬儀が終わってみての感想はいかがですか?
無理な要望にも応えていただき、母を最高の形で送り出すことができました。
お葬式だからと言って暗い空気だと、母の好きな、明るく楽しいイメージには合わないと思い、花葬儀さんにお願いしました。出来上がった祭壇は、私達が想像していた以上に華やかで、ちょっとしたパーティーに母と一緒に来ているような温かい空間でした。
きっと母も「かわいいー」と喜んでいたと思います。
親戚からもとても好評で、後から「こんなお葬式初めてみた!」「どこに頼んだの?」「高かったんじゃないの?」と質問攻めにあいました。
家族葬だったので、多くの方にご会葬はご遠慮いただいたのですが、ご供花をいただいた方へ祭壇のお写真をお送りすると、皆さん「お母様のイメージにピッタリね」と喜んでくれました。
まさかお葬式では不可能だろうと思っていたことも実現でき、花葬儀の皆さんの心遣いに感謝の気持ちでいっぱいです。最後に最高の親孝行ができたと思います。
晩年は介護もあり私達家族も大変な時期がありましたが、こんな素敵なお葬式で母を見送ることができて、母の人生の卒業式であったと同時に、私達にとっても一区切りとなる卒業式だったように感じます。
いつの日か自分のお葬式を挙げるとしたら、花葬儀さんにお願いするつもりです(笑)
エピソードとお写真は、ご家族様のご許可をいただいて掲載しております。