花葬儀を選んだ理由
叔母の葬儀の事前相談では具体的に話を聞いてくれました。
叔母は一人暮らしで子どもがいなかったため、一番身近な存在は姪の私でした。叔母ががんで入院した病院はコロナ禍で面会できず、頼まれたものを持って行くことしかできませんでしたが、叔母の愛犬の散歩には毎日通いました。ホスピスの病院に移ってからは毎日面会できましたが、そのような状況の中で、葬儀の準備を進めることを覚悟しなければならず…。ネットで葬儀社を検索したところ、一番上に花葬儀さんが表示されたので、とにかく相談したいという思いから、電話で連絡を入れたのです。
実は、叔母からノートを預かっていたのですが、そこには、自分の葬儀などに関する希望が、いろいろと書いてありました。「葬儀は青梅市民斎場で行ってほしい」「宗派は日蓮宗でお願いしたい」「亡くなった主人のお墓に埋葬してほしい」など、私に託してくれた最後の希望をプランナーさんに全て伝えたところ、それらを了解した上で具体的に説明をしてくださいました。
入院している病院や、葬儀に関する希望などを事前に伝えていたので、亡くなった時は、大変速やかな対応だった事に感謝しています。
花葬儀を体験して良かったこと
祭壇への細かい注文の快諾など、どれをとっても満点です。
亡くなったことを連絡してから葬儀までの1週間、そばに寄り添っていただいたことで心穏やかに過ごすことができました。特に、司会進行を担当してくださった方の気遣いが素晴らしく、葬儀を速やかにあたたかく行うことができたのは、そのおかげだと感謝しています。
また、私のリクエストに応えてくださったことも嬉しかったです。一番の希望は「叔母が好きだった歌謡曲を私が編集して葬儀で流すこと」でした。井上陽水や森進一など、車を運転しながらよく聞いていた曲に包まれて、叔母も喜んでくれていると思います。今でもそのCDを聞くと涙があふれてきます。
花祭壇に関しては、フラワーデザイナーの方が打ち合わせしながらデッサンを描いてくださったので、とてもイメージしやすかったです。具体的には、叔母が庭でよく育てていたバラやカスミソウを取り入れて、全体的に叔母のような明るく優しい雰囲気が出る祭壇にしてほしいとお願いしました。また、祭壇前後のお花の高さや、祭壇の両側に置いたフラワースタンドのバランス、そのアレンジメントのバラの位置など、ずいぶん細かい注文をしたのですが、快く受け入れてくださって…。フラワースタンドの深紅のバラは、叔母が好きだったというより、私がどうしても入れたかったこだわりでした。結果、私の思い描いていた祭壇ができ上がったのです。大好きだった花に囲まれて喜んでいる「叔母の笑顔」が見えるようでした。
その他にも、山の中にある葬儀場からタクシーで帰ることになったいとこに、花葬儀スタッフの方がずっと付き添ってくださったそうで…。その優しい心遣いにも感謝しています。
叔母様はどんな方でしたか?
趣味が多彩。特に詩吟はプロ級で、私の結婚式で披露してくれました。
趣味はいろいろやっていたのですが、中でも詩吟は35年ほど続けていて、教えることが許される上席師範のレベルでした。私の結婚式でも、太くて美しい声で詩吟を披露してくれて…。私は着付けができるので、詩吟発表会の時には何回か叔母の着物の着付けを手伝ったように記憶しています。
亡くなる2年前には、青梅市が主催するコーラスサークルにも入って、毎週の活動を楽しみにしていました。本当に歌うことが好きだったのだと思います。葬儀では、詩吟の「上席師範の看板」に花を添えて、祭壇の右に置いていただくという粋な計らいをしていただきました。
とにかく、なんでも美味しそうに食べ、料理上手でもありました。
「美味しそうに食べるねー」と誰もが口を揃えて言うほど、叔母はとにかく、なんでも気持ちいいほど美味しそうに食べていましたね。そんな叔母と一緒に過ごす時間は、私にとって本当に楽しいひとときでした。
叔母は、食べるのも好きでしたが、料理上手でもありました。元気だった頃には、私の実家に青梅から1ヵ月に一度のペースで、1時間以上かけて来てくれて。持参してくれた得意の太巻きや皮からつくったシュウマイなどを、母も私もご馳走になりました。
また、叔母の自宅には親戚など多くの人が集まることが多かったようです。毎年お正月には叔母のご主人の親戚が集まっていたので、手作りのおせち料理が振る舞われていたことでしょう。
人と触れ合うことが大好きだった叔母。私のことも妹のようにかわいがり、愛情を注いでくれました。
叔母は、本当に人と触れ合うことが大好きで、家に人を招いて食事会をしたり、小学生に将棋を教えたり…。病気になってからもヘルパーの仕事を続けていたのは、人への思いやりが強かったからだと思います。
私のことも、まるで妹のように可愛がってくれました。小学生のころ、叔母に保護者になってもらい、私の友だちも一緒によみうりランドのスケート場に行ったことが思い出されます。夏休みには、よくひとりで叔母の家に泊まりにいったのですが、結婚してからも子どもを連れてたびたび遊びに行き、叔母の優しさに触れていました。
そんな叔母はNHKの番組「日曜美術館」を毎週録画するほど美術作品が好きでした。画家・絵本作家として有名な「安野光雅」展にどうしても行きたいという叔母の願いをかなえたくて群馬県まで行ったのですが、それが「叔母との最後の小旅行」になりました。
また、叔母が亡くなる前年のお正月には、私が叔母に命を救ってもらうというハプニングがありました。私のお雑煮のお餅が固かったせいか喉の奥にツルッと入ってしまったんです。目が白黒になるのがわかり、自分でも「餅で死ぬってこう言う事?」という思いが脳裏をよぎった瞬間、叔母が私の異変に気づいて…。着物の帯の後ろを掴みバンバンと繰り返し背中を叩いて、死に際から救ってくれました。叔母は私の命の恩人です。
こんなご葬儀でした
お式への要望
大好きなバラに囲まれて、最期の時を過ごしてほしい。
〇庭でバラやカスミソウを育てていたので、祭壇には主にバラを使ってほしい。
〇明るく優しい叔母のイメージを大切にしてほしい。
〇青梅市民斎場で、家族葬(コロナに配慮)にしたい。
実際のご葬儀
〇叔母様が、長年、生活をしてこられた青梅の自然の表現も意識しました。
〇優しく明るい叔母様をイメージして、明るいお色味のお花を中心にした花祭壇をおつくりしました。
〇喪主様のご希望により、ポイントでシックな深紅のバラを祭壇の脇に配置しました。
〇詩吟における上席師範の看板をお持ちいただき、祭壇に組み込みました。
〇お写真や趣味で作られた作品をお持ちいただき、一緒にお飾りしました。
葬儀を終えての感想はいかがですか?
叔母が亡くなってから葬儀までの8日間、心落ち着く時間を過ごすことができました。
入院先で、大好きだった叔母の顔を見るたびに「愛情を注いでもらった分、できるだけのことをしたい」という思いが強くなっていきました。そのひとつが、悔いのない葬儀で叔母を見送ることでした。花葬儀さんが、そんな私の思いを汲んで、私の言葉に熱心に耳を傾けてくださったおかげで、「後悔のない葬儀」が実現できたのだと思います。
すばらしい花祭壇はもちろんのこと、叔母の詩吟の看板や、最後に私と一緒に行った小旅行の写真などを飾っていただき、素晴らしい式になったと感じています。
親戚や参列者など多くの方々からも「すばらしいお葬式だったよ」「こんなにステキなお花に囲まれている葬儀は見たことがない」などの言葉をいただきました。「叔母が生きている間に、もっと何かできたんじゃないか」と思うことがあるのですが、そんな時もこれらの言葉を思い出すと心が癒されます。
また、葬儀後には位牌、法要などの相談にも乗っていただき、五十回忌までの法要日程が記載されたカードとともに写真立てもいただきました。
エピソードとお写真、映像は、ご家族様のご許可をいただいて掲載しております。