花葬儀を選んだ理由
請求した2時間後に届いた資料の中には折鶴も…。その配慮に感動しました。
5年に及ぶガンとの闘病生活の末に亡くなった母は、その間に自分の葬儀について、ほぼ何もかも準備をしていました。訃報を知らせる方のリストをつくり、香典返しとは別にお世話になった方にお送りする品を決め、葬儀費用なども用意して、長女の私に託してくれたのです。
自宅での看取りだったので、葬儀のことも母といろいろ話をしました。「お母さん、遺影はどれにしようか?これはどう?」「これはダメよ、こっちがいいわ」と2人で笑いながら選んで…。全く悲壮感はなく、そこが母らしかったですね。
そんな明るく、アクティブな母を送るのに「暗い葬儀は似合わない」「とにかく花が好きだったので、花に囲まれた華やかな葬儀にしたい」と強く思うようになりました。そこで、「お花 お葬式」のキーワードで葬儀社を検索したところ、花葬儀さんのHPがヒットし、過去の祭壇の写真を見たときには「もう、イメージにぴったり」だと、すぐに資料請求をしたのです。
資料の請求をしたのは午後5時を過ぎていましたが、なんと届いたのは、その日の午後7時でした。しかも、資料のファイルを開けると、きれいな折り鶴が入っていたのです。素早い対応と、さり気ない心遣いに「もうここしかない」と即決しました。全く迷いはなかったですね。
花葬儀を体験して良かったこと
「そうそう、こんな葬儀にしてほしかったの」そんな母の声が聞こえるようでした。
祭壇には、花好きの母が一番好きだったカラーの花、母が好きだったブルーの色、私が母に抱くイメージカラーの黄色、そして会場をより華やかに演出する枝物を入れてほしいとお願いしました。過去のサンプル画像も見せていただき、フラワーデザイナーさんがその場でデッサンを描いて提案してくださったので、全体もイメージしやすかったです。
驚いたのは、母の人生が卓球一筋だった話をしたところ、「卓球にまつわるものを飾りましょう」と提案されたことです。表彰状やトロフィー、メダルはもちろん、ユニフォームやラケット、優勝台に立つ母の写真のほか、孫と遊んだ子ども用の卓球台も飾ることになりました。当日、葬儀会場の扉を開けた瞬間、思わず「うわ~っ、すごい」と思いましたね(笑)「そうそう、こんな葬儀にしてほしかったのよ」という母の声も聞こえた気がしました。
また、納棺師の方にラストメイクをしていただいた母は、本当にきれいで…。しかも棺がたくさんの美しい花に囲まれていたものですから、娘の私が言うのも変ですが、「眠れる森の美女」のようでした。皆さんに、そんな母を見ていただくことができ、とても誇らしかったです。
もう1つ、忘れられないことがあります。葬儀の前日に、プランナーの方が、高千穂の旅行ガイドブックを2冊持ってきてくださったのです。母と私は、日本中を、ときには海外にも足を延ばして旅をしていました。「今度は高千穂に行きたいね。そんな話をしていたのだけれど実現できなかった」特段意識せずに言った私の言葉をプランナーの方は覚えていてくださり、それが本当に嬉しくて…。「1冊は明日、棺に入れてください。もう1冊は、いつかご遺影といっしょに高千穂に行く際に使ってください」とガイドブックを手渡してくれたのです。一回限りの葬儀で遺族のためにそこまでできるのってすごいな、と驚きを通り越して、言葉が出ませんでした。
お母様はどんな方でしたか?
卓球とともにあった人生。仲間に慕われ、いつも誰かの相談に乗っていました。
母の人生は、卓球とともにありました。中学生の頃から全国大会に出場するほどの腕前で、家庭を持ってからも現役の選手として活躍するのと同時に、自分の卓球教室で教え、市の体育指導員や卓球連盟のメンバーでもありました。
世話好きだったこともあったのでしょう、卓球仲間や教え子、勤め先の同僚からも慕われていましたね。子供から年配の方まで、誰かれとなくいろいろな相談に乗っていました。しょっちゅう電話がかかってきていたので、家にいる時間で思い出されるのは、いつも誰かと電話をしている姿です。
コロナ禍で亡くなったので、当初は家族葬で小規模な葬儀にしようと考えていたのですが、どうしても最後のお別れをさせてほしいと言われる方々が多く、急遽、2倍のスペースをお借りしての葬儀となりました。葬儀にも母の人柄が表れていたのだと感じます。
孫を愛し、孫と心を通わせた母。彼の心に大切なものを残してくれました。
家族のことに心を砕き、いつも心配をしていました。特に、兄の子どもたちは、両親が共働きで母に預けられることが多かったので、一緒に卓球の試合に行ったり食事をしたりしていましたね。母が亡くなったとき、その甥は中学3年生だったのですが、葬儀の日は会場に入る時から終始涙が止まりませんでした。大好きなばあばへの想いを手紙に書いて、棺に入れるために持参していました。
その甥が、卓球仲間が母への手紙を葬儀で読み上げるのを見て、泣きながら「ぼくも読んでもいい?」と聞いてきて…。きっと「自分も気持ちを伝えたい」という想いで、いてもたってもいられなくなったのでしょう。人前で手紙を読むことって思春期の子にはなかなかできることではないですから、驚きつつも嬉しかったです。
次のフレーズだけは、胸に迫って忘れられません。「ばあば、たくさん愛してくれてありがとう。僕もばあばみたいに愛をあげられる人になりたい」それを聞いてゾワッとしましたね。母の想いはこの子にちゃんと伝わっていて、こんな風に自分の気持ちを伝えられる子に育ててくれていたんだなあと。母のことを改めてすごい人だと実感しました。
こんなご葬儀でした
お式への要望
明るかった母を感じられる「パーティー」のようにしたい。
〇大好きな花に囲まれて、和やかに送り出してあげたい。
〇明るくアクティブだった母のイメージどおりに、パーティーのような会場に。
〇母の好きなブルーと私の抱く母のイメージカラーの黄色をベースに、シンプルでいて華やかな祭壇を。
実際のご葬儀
〇しらゆりなどの白い花をベースとし、水色と黄色が差し色となるように花祭壇をおつくりしました。
〇空間テーマを「母と卓球の軌跡」として、卓球にまつわるグッズや賞状、トロフィー、ユニフォーム、お写真を飾りました。
〇中学校時代からお亡くなりになるまでの生涯を、参列者の皆さんに見てもらえるような空間をつくりました。
〇お風呂に入れてあげたかったとのご希望を受けて、お花入れ前にお手元湯灌をさせていただきました。
葬儀を終えての感想はいかがですか?
死は悲しいこと。悲しみを乗り越えてハッピーな思い出として心に残したい。それを実現してくれたので、父の葬儀もお願いしました。
一般的にお坊さんを呼んで行う葬儀は、花は白と黄色の菊で、白と黒の幕が張られ遺影も黒縁なので、全体のイメージが黒ですよね。でも、それでは、亡くなった方の最期の思い出がどんよりした黒で終わってしまうと思うんです。もちろん、私も悲しかったですが、大事な母との最期の思い出だからこそ、黒ではなく華やかな花の色で終わりたかった…。悲しみをハッピーにするのはとても難しいことだと思うのですが、そんな私の願いを、花葬儀さんは見事にやってのけてくださいました。
今、私が思い出すのは、華やかな花に埋もれて幸せそうにしている安らかな母の顔と、明るいパーティーのような会場。悲しいはずなんだけれど、私の記憶に残ったのはハッピーでした。花葬儀さんのお蔭で、母のために、そして私自身のために「お花で彩られた明るい最期」を残すことができ、感謝しています。
また、母が亡くなって数年後に父が他界した際にも、迷わず花葬儀さんにお願いしましたが、母のときと同様に、参列者の方が、「こんな葬儀もできるんだね」「すごく良かった」と言ってくださり、本当に嬉しかったですね。父の最期の思い出もまた、黒ではなく、美しい花の中にあります。
私は、亡くなった人への愛情を最期に示す場が、葬儀なのではないかとも考えています。それをまっとうでき、両親を幸せな気持ちで思い起こせることを、本当に幸運だと感じています。
エピソードとお写真、映像は、ご家族様のご許可をいただいて掲載しております。