花葬儀を選んだ理由
同級生のお坊さんに紹介され、HPを見て「ここだ」と直感しました。
肺がんだった母の容態が急に悪化し、医師から「あと、1週間もつかどうかです」と告げられ、「これから先のことを考えておいてください」と言われました。たまたま近所で住職をしている同級生がいたので相談しました。
母は、「自分が亡くなったときは、盛大にやってね。葬儀代は用意しているから心配しなくていいよ」と元気だった頃から冗談まじりに話していて…。地元にも何件か普通の葬儀屋さんがあるのは知っていたのですが、そのお坊さんに葬儀社について相談をすると、「最近、花をモチーフに葬儀を行ってくれるところがあるよ」と教えてもらったので、花葬儀さんのホームページを見てみました。たくさんの華やかな花祭壇の写真があって、まさにイメージにピッタリだなと思いました。
母は、いわゆる「菊の花が飾られた葬儀らしい葬儀」を望んでいなかったので、ここなら母の遺志を実現してあげられると直感して花葬儀さんに決めました。
花葬儀を体験して良かったこと
たくさんの写真が飾られ、そこには好物の柿も置かれ――。感動の連続でした。
祭壇の打ち合わせでは、私からフラワーデザイナーさんに、「明るく活発な母だったので、そんな母をイメージしてオレンジ色や黄色の花を使ってほしい」とお願いをしたのですが、そのとき「お母様の故郷は?」「小さい頃のお母様との思い出は?」「どんな趣味をお持ちでしたか?」など、いろいろ聞かれたんです。
最初は、なぜそんな質問をされるのかわからなかったのですが、目の前で祭壇のデッサン画が作成されていく中で腑に落ちました。
「ゴルフがご趣味だったなら、パターを練習するときに使う芝生を入れましょう」とおっしゃって、入口から祭壇までのスペースに緑色の芝生が描かれていきました。普通の葬儀社では、こういうことはしないですよね。正直、仰天してしまって(笑)。ほかにも、生まれ育った山梨県の山里の木々を採り入れるなど、細部にわたって母らしさを表現するこだわりに、ただただ驚くばかりでした。
実際の花祭壇を見たときには、思っていた以上の花祭壇で、今もそこに母がいるように思えて涙があふれてきました。でも、実は、もっと感動したことがあります。事前にプランナーの方から、母の写真をできるだけたくさん送ってほしいと依頼されていたのですが、10枚以上の写真がパネルにされて飾られていたのです。
しかも、そこには母の大好物の柿が並べてありました。確かにプランナーの方に、母は本当に柿が好きだったと話をしましたが、それを覚えていて用意してくださったとは――。知らされていなかったサプライズで、担当の方の心配りには感謝しかなく、そこで、また涙しました。
お母様はどんな方でしたか?
家族思いだった母。母の日には孫からカーネーションを贈られていました。
母は、とにかく家族思いで、いつも家族のことを心配している人で…。私には娘がいますが、母は、もちろん孫娘も心から愛していました。娘にも、その気持ちが伝わったのでしょう、とにかくおばあちゃんのことが大好きでしたね。
主人の転勤で私たち家族が鹿児島にいた頃、父と母は東京に住んでいたのですが、夫が出張で東京に行くとき、2歳の娘が「おばあちゃんのところに行きたい」と言い出して…。3歳以下は当日の飛行機に乗れたので、急きょ、東京に連れて行ったこともありました。
東京に戻り、母の住む家の裏手に私たち家族が住むようになると、娘はますます母に信頼を寄せるようになって…。毎年、母の日に娘がカーネーションを贈るのは、私ではなく母だったんです(笑)。それほど特別な存在だったのだと思います。
高校2年生になっていた娘は、自宅介護だった母を献身的に世話してくれたのですが、そうした経験から介護の大切さを学んだのか、娘は今、医療・介護の道に進んでいます。母の導きがあったのかもしれません。
ゴルフ、テニス、絵画、陶芸と、とにかく多趣味。何事にも一生懸命な姿が誇らしかった。
とにかく多趣味な人でした。ゴルフは若いころから始めていて、ゴルフ仲間で数ヵ月に1回のペースでコースに出ていました。父とはゴルフ会員権を持っていたので、1ヵ月に1回程度は2人でコースを回っていましたね。ホールインワンを決めたときに、興奮して話していたことが鮮やかに思い出されます。本当に運動が好きだったので、テニスも始めてスクールにも通っていました。
芸術の分野にも興味があって、よく鉛筆画を描いていました。その延長線上か、陶芸も始めて、ずいぶん長い期間、打ち込んでいました。主に、お皿をつくることが多く、今も母がつくってくれたお皿を使ったり、飾ったりしています。人の悪口を決して言わず、家族の世話も趣味も何でも一生懸命。そんな姿が、誇らしかったです。
こんなご葬儀でした
お式への要望
オレンジや黄色の華やかな花で、葬儀らしくない葬儀を。
〇大好きだった花をふんだんに使って華やかに送ってあげたい。
〇「葬儀らしくない葬儀にしたい」との母の遺志を実現した盛大なお葬式に。
〇母の明るく活発なイメージを感じられる花祭壇にしてほしい。
実際のご葬儀
〇活発で明るいお母様がイメージされるお葬式を、ご家族様と一緒に考え、黄色とオレンジの花で埋め尽くされた会場にしました。
〇生まれ育った山梨を意識した自然豊かな会場をご用意しました
〇たくさんのお写真をお預かりし、パネル化してメモリアルコーナーをおつくりしました
〇お好きだった柿を、思い出のお写真のそばに飾りました。ご遺族へのサプライズでもあります。
〇ゴルフのパターをイメージし、祭壇の前に芝をご用意しました。
葬儀を終えての感想はいかがですか?
「できることは、やった」「できることを、していただいた」満足と感謝の葬儀でした。
コロナ禍だったため、友人の方々をお招きできなかったのは本当に残念でしたが、親族には「心が温まる本当によい葬儀だった」と言ってもらえました。皆、私と同じように「写真のメモリアルコーナー」に特に驚いていましたね。思い出の詰まった多くの写真を前にして、「こんな素敵な葬儀は見たことがない」という感動と母への思いから涙を流していました。そのときにパネルにしていただいた写真は、娘と私の宝物になっています。
もうひとつ、忘れられないことが――。葬儀が終わって斎場から火葬場に向かうときに、「母が大好きだった自宅の前を通っていただけませんか」と、同乗していた花葬儀の担当の方に頼んだところ、回り道になるにもかかわらず快く対応してくださって…。加えて家の前でも止まってくださいました。本当にいろいろと配慮してくださって、そこでも感動してしまいましたね。
葬儀を終えて思うのは、このような葬儀社の方の細やかな心遣いがなければ思ったとおりの葬儀はできなかった、ということです。いえ、これほど想像以上の葬儀はありえません。最後に思い残すことなく母を送り出してあげることができて、本当によかったです。ありがとうございました。
エピソードとお写真、映像は、ご家族様のご許可をいただいて掲載しております。